PATM パトムとおぼしき現象+最強のα との闘いとの記録…

2020年より悩まされているPATMのような症状の変遷や考えてきた事たちを。どなたかの何かの参考になりますように!

デスクワーク先で起きた事

会議室の一室で、10人程度が働くことになった。

季節は冬です。派遣社員として。

 

はじめ寒い会議室だ、と言っていたけど

そのうち、暖かくなったね、暖房付いたんだと思う、と話し声が

 

そして、自分も感じてはいたし皆何と無く感じていたと思うけど、

「この部屋空気悪い。空気澱んでる。ドヨーンってしてる。」

と言わしめしました。この後にも、他の人が、

「この部屋なんか暑くない?」「うん、何か。。。。」と言って、12月とか1月とかの時期に

1日に数度換気されてました!!

 

あとは、隣の席の子がリンパが腫れ、咽頭炎になった。因果関係は何とも言えないよ、(あるとは思う)

あとは、「この部屋、なんか酸素薄い。」と言われたが、空気中の不純物が多いからだよ、多分

 

自分の着る洋服や持ち物に良くない物質がついていて、それが周囲に拡散する、

ということは分かっていたので、自分なりには気をつかって、50,60℃の温度で

いつもバケツ洗濯していましたが、、

それでも、この頃から、”臭い”という話題が登るようになった。

洗濯槽の掃除の話題が後ろの職員さんの間であがっていた。

あとは、職員さんのスーツが、クリーニングにだした後もなんかくさい、

と言った内容のものであった。

 

この内容ははっきり言って最悪であると思う。

私の衣服に着いていた粒子が職員さんのスーツにまで付着して、そしてクリーニングでも取れないのだ、ということである。申し訳なさに自分は包まれた。

 

そして、同じ部屋にいても、いつも喉を辛そうにしていた。たえず水を飲みお菓子で喉の違和感をぬぐっていた。

 

会議室を出てホールに出ても咳する人が目につくようになったりと

自分が窓口に立つと近くの職員さんが咳き込むと言ったこと、

同フロアの方々の顔がなんか人しれず赤いこと、(これはどういうことなんだろうね)、

 

原因不明の体調不良がさあ〜と話す人、、

 

とまあ、いろんな良からぬ情報が私の視線の中に入ってきた。

最後の方はほとんど仕事は無かったけど、その場にいるだけで辛くて、

派遣先へかかる迷惑を思うと辛くて、辛い顔をしていたそうだ。

派遣仲間が心配して、しんどそう、無理しないで、この後は暫くお休みとった方が良いかもね、

と優しく励ましてくれた。そして、ほぼ仕事の最後の方の日に、私のせいで人が咳したり空気が悪くなっているのが申し訳ないんだとその仲間に伝えてみた。

そんな風に思ったことないよ!もっと、自分を好きになれるといいねっ。

と言って、明るく可愛く言っていたのだった。ありがとうな、、、

 

と言って、ひいひいとデスクワークの派遣社員はおわった。

行き帰りのバスもまあそれなりに辛いもんがありましたが、完全無視してた。

すいませんでした。

PATMと退職後の仕事

一箇所に通い続けることが怖くなっていた自分は、単発の派遣バイトをした。

 

ただ、それはそれで毎回仕事場が不定で時間に合わせての移動を考えることやら、

毎度新しい人と仕事することが自分にはストレスというか合っていないとも思わされた。

 

色々な経験ができたことは良かったと思っている。

 

訪問先で、接した障害のある児が、咳き込んで真っ赤な顔になったのを見て、

怖くなり、自分のこの体では接する人の健康を害しかねない、と思うと

仕事に積極的になれなくなった。

 

その後、職業訓練を利用したため一定の期間は固定の場所で働くことが必要になった。

紹介を受けるまま、事務のデスクワークの仕事を受けた。

職業訓練校で起ったこと

教室に何人も集まってパソコンの授業を受けること。

本来だったら恐ろしいけど、その時はまだ何とかなった。

 

それでも、教室には細かい埃っぽいものは充満したり舞い上がり、

パソコンの画面には白い糸っぽい埃が皆のモニターに降り積もってました。

 

あとは、喘息持ちの方は、この部屋に来ると苦しくなっちゃってー、、

と時々休みがちだったり

若い女の子も、学校とかに来ると気持ち悪くていられない、と休みがちだったり(多忙だったのもあったぽいけど)

この部屋にいるとなんか肩凝らない!?という訴えやら、

ちょっと気管が弱いので、折に触れて咳き込んでしまう方、

それをみた周りの子は、えー、何だろ、エアコンかなー?とわたわたする

 

あとは、この部屋、何時もだったら寒いくらいエアコン効くのに、今年は、どうしちゃったのかしらねー、、という、エアコン効かない問題。

 

あとは、私の教科書についた埃をめくるたびに空気が汚染されるのではないかと緊張感がありました。

 

とまあ、確実に良くないけれども、何とかまあ無視はできるかなくらいの影響度で、

あんまり動かないで座ってるデスクワークなら何とか仕事になんのかなと思いながら卒業。

地元に帰った

地元に帰ることにした。

 

その際、荷物はまあ少ない方だったので、まあ大丈夫だろうと思い、

全ては処分せずに、そのまま実家へ持ち込んだ。

今思うとこれが致命的ミスだったと思う。

 

暫くは ゆっくりし、周囲への鼻とか咳の症状は皆無では無いにしろ、

まあ深刻なレベルではなく、ゆっくり生活していた。

 

自分のPATMに対処に対しての考えは、実家に帰ってくると、

親には理解されず、そんなモンないから普通に振る舞いなさい!!!

ものは勿体ない、捨てるなーっ!!!

 

という甘言にほだされてしまい、あんだけ厳格に頑張って手に入れたちょっと平穏な生活も、

まあ大丈夫だろ〜^ー^ でちょっと流されてしまった。いくない、、、

 

そのうち、失業手当をもらって、職業訓練を利用してパソコンのお勉強に行った。

PATMっぽいものを持ちながら働くと

朝の集まる時間、部屋の扉を閉める。

そうすると、自分から出る埃の様なものが部屋に充満する。

その結果、周囲に目の痒みであったり充血、はたは蕁麻疹を引き起こした。

 

あとはアレルギー体質の方は鼻をかんでいた。

「今日雨降ってるのに何で〜?!」

(それは、わたしのせいじゃーーー!!!!!)

そう思っていた。

 

鼻をかむ同僚は何人もいて、絶対季節外れなのに、皆、

「花粉かな〜〜〜〜????ブタクサ?」

とか言ってくれていた。信頼関係のある人には居た堪れず、

「あたしんちでダニが出てぇ、、、私のせいなんス」

とか言っても、「いや、違うってーそんなの大丈夫、ダニなんて何処の家にもいるよ」

その様に優しく声をかけてもらうのだった

 

ただ、先輩だったり言い難い関係の人にはなかなか言いづらいが、

「・・・なんか飛んでます?今日、ここ。」

と違和感は間違いなく感じられていました。

仕事で接する人たちも鼻垂れてる人が散見されたり、くしゃみはされたり。

 

後輩の子がめっちゃ咳払いしていて、申し訳ないし気付いてるだろうなと思った。

 

ある時、「私のせいだと思うんだよね〜・・」とか後輩の前で言ってみたことがあったが、

「えー、、、」とか言って困った顔をされた。先輩にそんなこと言われても

何も言えないし困るよね、、、ということで、あまり喜ばれるような話題では無いなーって

その時思った。必要以上にはアピらず、自分の思う対策を頑張るのがいいなと思った。

 

何人もの人が季節でも無いのに鼻炎症状が出ていたりと

明らかに仕事場には影響を及ぼしてはいました

なんとも無い人もいましたが

 

今思うと有難い状況でした。困ったこともあるけど許してくれていたと思う

 

あ、あとは、ちょっと小さめの事業所で働いた時、

「なんかタバコみたいな空気がする〜、外で吸っている人いるのかな?」

と言って確認された。居ません。そんな人は・・・あたくしです。

 

その当時コロナが流行っていたので、隙をみては換気しまくっていました。

それで何とかなった。ありがとう。罪悪感は消えませんよね

 

自分がこのまま在籍し続けることでもっと汚れたらやだとかいう恐怖心もあった

いろんな理由でその後退職しました が 働き続けててもよかったかもなあって

今思うと思うね!

ちょっとずつ生活を取り戻す

服もできるだけ短いスパンで取り替えた。

こういった対応ができた自分の経済力が本当に今となっては感謝。

 

周りに反応はなくはないけれど、洗濯機と冷蔵庫も何とか搬入し、

普通っぽい生活を少しずつ取り戻し始めた。

 

それでも心は不安定で、人口密集地で暮らすことの不安を感じていた。

 

この間に1ヶ月半ほどの休職期間を設けていたが、

このまま長期でまた働いていくことは難しいと自分は判断した。

 

また住居を変えて、生活を完全に立て直して、この問題と本格的にオサラバしたいと考えた。

結論としてはこの判断は全くの甘いもので御座いました。

心理的に苦しい 発症した部屋から引っ越す

自分を汚染として、少しでも早く普通に、清浄側に戻ろうとしていました

 

私は人一倍、周囲の反応に敏感な性質を持っていたでしょうから、

本当に気を遣い、苦しかったです。

 

汚れのついたものは極力減らし、新しい環境を手に入れれば

汚れが段々と薄まっていくかもしれない

そういった仮説を立てて、

お気に入りだった数々の品物も泣きながら、写真に記録をとっては捨てた。

 

けれども、どうしても捨てきれないものもあった。

限られたものを残し、発症した家から別の一室へと引越しをすることにした。

 

引っ越しをするちょうどその日、暖かくなって来ていた。

冬でナリを潜めていたダニが、玄関先のデッキみたいなところに潜んでいたらしく、

引っ越し前の日に私の肌に触れたかと思うと一気に腕が腫れ上がった。

 

あ〜やっぱりこの部屋には住めないな〜!

とか思いつつ発症した部屋ー好きだったけどねーでも痛い目にあったーを出た。

 

引っ越し先は引っ越し前よりももっと狭い一室。

引っ越し後直ぐは汚染物が狭い部屋に充満して もっと苦しくなってしまい

大変だった^^;

このままではダメだと思い、また業者を呼び、無くても何とかなりそうな机とか、

まあしょうがないけどレコードもデッキも持って行ってもらった。

空気清浄機も何故か持って行ってもらった。

 

ものが減ると、少し楽になった。布団も再度取り替えた。

 

洗濯機も冷蔵庫も捨て去ってしまって無かったが、

冷蔵庫や洗濯機が汚染の原因となっていたのではないかというトラウマが怖く、

なかなか再度購入できずにいた。

 

自分はギリギリ都市部に住んでいたので、ウーバーイーツやら近所のコンビニでの食事で済ませ、コインランドリーを利用する、そんな部屋にものが極小の時代が暫くあった。